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DMM.com会長 亀山敬司氏 「熱くなり過ぎないビジネスの仕方」 (読む時間:約9分)


    • 上海リーダーズ編集長 溝口新平(以下溝口):今日は亀山会長にお逢いしてお話が聞けることをとても楽しみにしていました。亀山さん、いい声していらっしゃいますね。先日対談をyoutubeで聞きましたが、お声が大変渋くて聴き入ってしまいました。


      亀山敬司氏(以下亀山):え、本当?そうか、じゃあこれからインタビューはできるだけ声を出すようにしようかな。


      溝口:今日はDMMについて色々とお聞きしたいのですが、早速お聞きしてよろしいですか?


      亀山:どうぞ、どうぞ、なんでも聞いてください。


      ● ブレイク前の堀江貴文さんやAKB48をキャッチ


      溝口:「DMM.make akiba」のCMには北野武さんが出演されていますが、北野武さんとは、もとから繋がっていらっしゃったんですか。


      亀山:そうですね。会社の関係者に縁があったので出ていただきました。


      溝口:堀江貴文さんとも十数年前から繋がってらっしゃったり、AKB48もまだ世間から注目される前から関係を持っていらっしゃったりと、どうやってそんなネットワークを作られるんですか?


      亀山:完全に運ですね。堀江さんは私が石川県にいた頃にたまたま講演会に来たんです。その時に話をして、しばらくしたら上場して有名になって、あれこれしてるうちに捕まっちゃって、あらーって感じだったんですけど。ほんとに偶然です。石川県で会った後も年に1回くらいは会っていました。映画のサイトをやろうと言ってたんです。でもそのサイトが思ったように進まなかったの。そのうちに堀江さんの会社が忙しくなって、その仕事はなくなって。でも年に一回くらいは会って話してたかな。


      溝口:AKB48はどのようなきっかけだったんですか?


      亀山:たまたま知り合いがAKB48の動画配信をしてたんだけど、赤字になったので代わりにやらないかという話になって。まだAKB劇場だけでやっていた頃です。AKB48のやり方が面白くて、将来性がありそうだなって思ったので、しばらく赤字だったけど引き受けるよって。その時に秋元康さんと知り合って。ほんとうに偶然の出会いですね。


      溝口:今でも続けていらっしゃいますね。儲かるコンテンツになっているのではないでしょうか。


      亀山:そうですね。その頃からやっているので、今でもやらしてもらっています。もう一年遅かったらやらせてもらえなかった。まだみんなが注目していない頃だったから、やらせてもらえて。


      溝口:もともと亀山さんはアダルト関係のお仕事をされていましたが、秋元さんはそのことで躊躇されるということはなかったのでしょうか。


      亀山:あったとは思います。ただちゃんとやってくれそうだなと思ってくれたんだと思います。秋元さんも悩んだんじゃないかな、ちょっと(笑)AVの仕事もちょっとリスクありますってところから始まったので。注目を集めてから入ってもなかなか仕事がとれないじゃないですか。リスクはった方がうまくいっている。全部はうまくはいかないですよ、ただいくつかがうまくいっている感じです。


      溝口:打率的にはどれくらいなんですか?


      亀山:ヒット3割くらいで、ホームランは1割くらいですね。


      溝口:3割打者でさらに1割はホームランまで持っていくのはスゴイですね。


      ● 資金100万円でアフリカに飛び込む先遣部隊


      溝口:話をアフリカに向けたいのですが、アフリカビジネスを始めていらっしゃいますがきっかけはなんですか?


      亀山:2015年夏くらいにアフリカを旅したんですね。1人で。1ヶ月くらいの休みをもらってぶらっと。アフリカは思ったより発展しているとか、治安もいいなとか思って。そこで頑張っている日本の方もいたんですが、彼がアフリカってB2BとかB2Cとかじゃなくて、B2Gで今の時期なら政府とつながれるよって。日本ではなかなかない話ですが、アフリカは日本人がまだ少ないし。なんかチャンスがあるかなって感じで。中国人は日本人の100倍か1000倍くらい来ている感じですが、ほんとに日本人が来ていない感じだったので。日本も今後、国際的にアフリカに行こうというのもあるみたいですし、早めに行っておいたほうが得かなって感じですかね。何の当てもないですが、伸びそうなところに絡んでおけば、あとあとチャンスが出やすいという。みんなが行かないところに行けば、ビジネスをしやすいといえばしやすいですよね。先駆者がいないから。という感じで何をやるのかも決めていないです。


      溝口:どんな感じで始められたんですか?


      亀山:10人くらい送り込んで、どこでも良いから好きなところに行って来いと100万円ずつ渡して。何か探してこいって(笑)2人は帰ってきて、残りはまだ行っています。社内で行きたいやつは手を上げろと言って募りました(笑)


      溝口:それで手が上がるものなんですか?


      亀山:25〜26人がやって来て、面接しました。それで5人選んだ。何か見つけられたらそれをやるし、ダメだったら元の部署に戻す。


      溝口:彼らのミッションは何ですか?


      亀山:ビジネスを何か考えてくださいってことです。期間は3ヶ月ですね。その中から1つでも投資してみても良いかなと思えるものがあればいいし、なくても人脈を作ってきましたでもいいし。スタートなんてそんなものかなと。


      溝口:ホームページを見ると人材募集はアフリカ推しですよね。


      亀山:今アフリカ人も3人位採用して。フランス人とかも随時入っていますが、アフリカに行く人ということで集めています。


      溝口:アフリカは勝つまでやるんですか?


      亀山:それはわからないですが数年はやります。5年間に50人を派遣して、年間5億円くらいが滞在にかかるとして、なにか見つかるでしょう。農業なのか、ダイヤモンド掘るというのか、何かを見つけて出たものにします。


      溝口:僕はいま中国でビジネスしていますが、自分で決済ができない人が行くと海外ビジネスは厳しいと感じています。その辺りはどうでしょうか?


      亀山:まだそこまでは行っていないので。いけるなとなったらそこから組織を作っていくので、そしたら発案者か別の人間かに決済を持たせて、この範囲でやれという感じですね。


      ● 世界中に広がるオンライン英会話


      溝口:アフリカ以外の海外はどうですか?


      亀山:アフリカ以外は英会話を世界中でやっているんです。中国、韓国もあるし、ブラジル、トルコ、スペインやロシアとか。講師はフィリピンやセルビアを中心に、南アフリカとか、いろんな国で講師を集める部隊とかがいて、世界中でやっています。


      溝口:英会話は事業を始めてから3,4年だそうですが、すでに黒字ですか?


      亀山:まだです。2017年くらいには黒字になるんじゃないですかね。もともと授業料を半額にしていたので、やればやるほど赤字だったんです。会員をはじめはわっと増やしたかったのですが、もともと英会話講師のギャラは授業料の大半かかるので、半額でやるとその分赤字じゃないですか。今は英会話の講師数では世界一になっていると思います。これからもっと広げていくというところですね。これまでは講師料金が安い国だけでやっていたのですが、アメリカやイギリスなどの講師による高級コースもやっていこうと思っています。5000円くらいのコースと高級コース、そういう需要もあるので。


      ● 中国はエンタメブーム


      溝口:中国ビジネスではゲーム事業が中心ですか?


      亀山:中国はもうすぐ英会話をやるのと、ゲームをやり取りしていますね。こっちのゲームを向こうで出すこともあれば、あっちのゲームをこっちで出すこともある。「艦これ」は中国でリリースしていないけど、やっているひとも結構いるみたいです。意外と中国の人の需要があるようです。


      溝口:今後中国で仕掛けたいビジネスはありますか?


      亀山:今DMM.makeの施設とか、VRシアターというホログラム劇場とかは仕掛けたいと思っています。向こうではそういうエンタメのブームでもあるから。ものづくりの方で言うと、向こうにそういう施設があったら良いかなという。


      ● ヒットするものはわからない


      溝口:DMMからは、たくさんのヒットタイトルが出ていますが、亀山さんはヒットするものがわかるのですか?


      亀山:僕はそこは目利きできないので、わからないです。逆にダメなものはわかります。これは今更無理だろうというビジネスはわかるので、それはやらないんですけど。「艦これ」とかもわからないけどどうする?わからないけど、やるという感じで。どれがヒットしますかって言われると、ヒットしないものしかわからないな(笑)


      溝口:それは五感で感じるものですか?具体的に教えていただけますか?


      亀山:例えばECサイトを作ってこうやって売りましょうという話が出ると、それだとアマゾンが真似したらできないんじゃないの?あとで楽天がやったら負けるよねと、わかるのはやらないです。アップルがそのうちこういうのをやるからやってもしょうがないだろとか。どう見ても将来性がないものを外していくと、9割がたダメになるんですよ。残り1割はわからないので、じゃあ、試しにやってみようという感じ。それでやってみてお金を入れるとうまくいくかいかないかは半年くらいでわかる。なので結構ダメになっていきます。それは早めに止めていくんですよ。生き残ったものを続けると。その中で偶々うまく当たったのがホームランで、たいていヒットみたいな感じに続くんですよ。


      溝口:ホームランを打った方は、事業責任者として残るんですか?


      亀山:そうですね。結局同じビジネスモデルでもやる人間で成功するかどうかが決まるので。これはやらせてみないとその人間がどんな特性があるのかわからないんですよ。うちの場合はチャンスを与えるんですけど、うまくいったらやらせて、ダメだったら戻すみたいな。チャンスを出していけそうなら、次も予算出すし、いけなかったらもう一回平社員に戻るみたいな感じですね。


      溝口: DMMにはカルロス・ゴーンみたいなスーパーサラリーマンもいるという話を聞いたことがありますが、事業責任者に対してはそういう待遇が得られるということですか?


      亀山:ありますねえ。年収8億円の人もいますね。うちは非公開なので、待遇面でカバーするということですね。


      溝口::聞いたことがないですね。年収8億以上の待遇の社員がいるというのは。役員ですか?


      亀山:もちろん稀なケースです。思い切り当てたとか。役員とは関係ない。うちは役職と給料は関係ないので。


      ● ビジネスが一番ギャンブル


      溝口:亀山さんのモチベーションが上がるのはどんな時ですか?


      亀山:あんまり上がらないですね。こつこつと。波がないですから。楽しくはやっていますが、そりゃーって感じにはならないです。


      溝口:昔からそうなんですか?


      亀山:どちらかというとそうですね。時々頑張ることはありますが、あんまりテンションは変わらないです。あんまりぐーってなるとだいたい失敗しますしね。冷静に判断できませんから。執着を持ちすぎると泥濘にはまります。ギャンブルも嗜むのがいいでしょ。昔は麻雀やったりしてましたけど、ギャンブルというとビジネスが一番ギャンブルなので、どっちかというと遊びって感じですね。


      溝口: 「ビジネスが一番ギャンブル」とは亀山さんらしいですね。これからもいろんなビジネスをホームランさせて世間を「あっ!」と言わせてください。今日はありがとうございました!

       

    2016.05.09

    北京城門を探索する 【蘇州たより 工藤和直】Vol.49 (読む時間:約3分半)

  • 2016.05.05

    開花宣言 【上海の街角で 井上邦久】vol18 (読む時間:約4分)


    • 今年の花見はかなり長く楽しめています。すでに東京では葉桜になっていますが、東北から北海道はこれからが本番。花と酒に生きる津軽の友人からは、「戦闘態勢に入らんとす」というたよりが届き、句会の最中でもあったので、即興で拙句をひねりました。
          花待てず戦闘モードの津軽衆  シャンパンの栓を抜くよな北の春


      「開花宣言」といい、「桜前線」という言葉そのものに情緒抒情を感じるのが日本の春。 その春の初めに上海から、台北から同時期に友人がやって来て、楽しい値千金の一刻を過ごしました。東京で開花宣言がなされた直後の大阪で、京都大学名誉教授の芝池義一氏の古希祝賀、退官、出版記念を合わせた宴が催されました。海外の門下生が上海から、台北から、そして韓国から駆け付けました。教授の下から巣立って大阪で修行したあとに、上海で活躍するC氏とは七年の交流を経て知己となり、台湾出張の際に研修をともにしたZ女史とはC氏が共通の友人であることが分かり、それ以来上海や台北で三相交流が続いています。今回は初めての大阪での会合なので、ホスト役としては美々卯のうどんすき等の浪速風の候補を考えていました。ところがC氏から、ズバリ三者をつなぐ意味からして、九州・琉球料理の店にしましょうと即断してくれたので、梅田駅前で予約をしました。


      当日、新阪急ホテルで待ち合わせた二人が、少し言いにくそうに、「実は昨日の宴のあと、とても喜ばれた芝池先生が海外からの参加者とだけ、もう一度席を囲みたいとのご意向でして・・・」とダブルブッキングへの断りの言葉。事情を察して「好事成双(良いことはダブル)ですよ。同じ店で席を連ねてはどうですか?」と応え、すぐに席の確保をせんと、店に電話したところ「承知しています。追加5名様ですよね。芝池様からご連絡をいただいています」とこれまたダブルの確認が取れて安心しました。
      韓国へ当日に移動する弟子の空港バスの時間を事前に調べたり、料理屋の追加予約をされたり、手回しよく手配される教授に脱帽でした。「グローバリズムとは!」と大きな声を出すこともなく、さりげなく、細やかに、そして具体的・効果的に接していくことが人や国の関係の基本姿勢なのだと改めて感じ入りました。琉球料理と泡盛で和気藹々のなか、やはり上海から来られた先輩格のL氏は、芝池先生のことを魯迅の仙台時代の恩師である藤野先生に喩えていましたが、朱筆指導も偲ばれて然もありなんと納得しました。


      その翌日、大阪本社に来てくれたC氏、Z女史そしてM氏の三人を、北船場の風情を今に残している「江戸菊」の二階部屋に案内しました。道すがら「開花宣言」とは何か?について日本滞在歴の長い三人も良く理解できていない、ということでうろ覚えの話をしました。各県ごとの気象台が桜の開花日を確定している。概ね各地の気象台近くに基準となる標本木があり、東京を除いて原則は秘密になっている。その標本木の基準の枝に5~6輪が咲いたら、その年の開花日とする。標本木以外の木や枝に沢山咲いていても開花とは認められない。(いくら千葉市内で雪が降っても、千葉県気象台のある銚子市に降雪がなければ「初雪宣言」はなされないとか)。
      その説明に驚いた皆さんは「差不多呀!」と中国語で反応されました。厳密なルールに従って、基準通りに職員が数を数える、それを多くの報道関係者が取材して速報することに、どれだけの意味があるのか?大差ないではないか?ということなのでしょう。確かに気象学的にそのような厳密さが必要なのか分かりません。恒例の春の風物詩ですと言っても説得力が足りない気がしますし、第一に「風物詩」という日本語の捉え方も曖昧ですし、中国語辞書にある「季節性伝統」は堅い直訳だし、「風景詩」は誤訳だと思います。風景や習慣を通して感じる季節の情緒。その情緒がキーワードなのでしょう。


      学生時代に読んだ『中国を知るために』(竹内 好:筑摩書房)にこれに通じる内容があったような気がして、本棚から正続二冊を取り出し探しました。しかし、次々に出てくる話題が面白く寄り道ばかりして、目的の文章は見つかりませんでした。以下は曖昧な記憶によるものです。
      ・・・秋の初めにたわわに実った柿も晩秋には数を減らしている。それを見て、中国人は「柿はもう無くなった」と感じ、日本人は「まだ数個ある」と言う。大まかにはほとんど無くなって、大勢としては「もう無い」と感じる中国人。全部無くなったわけではなく、厳密には何個か残っているのだから「まだ有る」と判断する日本人・・・


      「江戸菊」個室での会話が弾みました。日本で青春時代を過ごした皆さん、たぶんそれは程度の差はあっても苦学の時代であったでしょう。そんな辛苦を克服した過去を忘れず、社会的な地位を獲得して度々来日する現在を充実させ、仕事を離れて大所から連携をめざす未来を志向しましょう、とお茶で乾杯しました。
      桜がきれいに咲いた「江戸菊」の玄関で記念の写真を撮ってお別れしました。
      大阪の開花宣言はそれから4日後でした。(了)


    2016.04.15

    蘇州の「蘇」の意味と地名の変遷 【蘇州たより 工藤和直】Vol.48 (読む時間:約3分半)

  • 2016.04.05

    禁じられた遊び 【上海の街角で 井上邦久】vol17 (読む時間:約4分半)


    • 虹橋公園の梅は早々に開花し、柳は印象派のタッチで緑の点描を宿しつつも、未だ寒気の残っていた元宵節も続いて静かな夜となりました。


      すっかり春めいた今となっては、春節の爆竹花火禁止の話題も旧聞に属していることでしょう。それにつけても今回の爆竹花火の取締まりは大掛かりだったと思います。


      杜甫の名詩「烽火三月に連なり」をもじれば、煙火禁止のお触れの横断幕は、「黄幕二月に連なり」という感じで、陽暦の1月から2月にかけて上海の街角の至る処に掲げられていました。個人の携帯電話にも禁止指示が届き、爆竹花火を供給する側への規制も厳しくなされたようです。確かに売人がいなければ買人は存在し得ないのは単純な道理です。 そして、実に静かな上海の春節となりました。


      人によって爆竹の轟音の凄まじさは、あるいは砲弾のように、あるいはトタン屋根を叩くようにと表現され、とても安眠妨害といった生易しさではありませんでした。静かな今年が異常事態だったと判断し、さぞや庶民には欲求不満が溜まっているだろうなあと推測していました。ところが「空気汚染防止の為だから悪くないと思うよ」とか「まあ、爆竹がなくても特段の問題はないよ」といった一見冷静な声が多く聞こえました。古くから静安区(閘北と合併する前からの旧市街)に生まれ育った上海っ子から、「やはり爆竹を聞かないと寂しい」という少数派メールが届いたのが印象に残るくらいでした。


      そして大連出身の友人が「ビックリ、ポン!」とは言わないまでも、「まさか上海人がここまでやすやすと指示に従って爆竹を我慢するとは!?」と法令順守を旨とする法曹界で働く人とは思えない「?」を連発していたことでようやく我が意を得ました。上海人の従順さを意外に感じる人が居たことで安心をするというのも失礼なことかも知れませんが。


      若い頃に黒鉛の取引過程で、アモルファス(AMORPHOUS)という言葉を学びました。中国語では「不定形」と訳され、辞書的には「非晶質」と呼ばれ、曰く、結晶のように長距離秩序はないが、短距離秩序はある物質の状態。これは熱力学的には、非平衡な準安定状態である・・・難しい物理学的解釈は後回しにして、このアモルファスという概念は当時(1978年改革開放政策の開始直後)の中国を表す適切な言葉ではないか、と感じたことを思い出します。多くのことが未整備で、有体に言えば「いい加減」、身も蓋もない言い方では「我説的話就算」(戦後間もない頃のプロ野球、二出川審判部長の明言「私がルールブックだ」を思い出します)。そして少し洒落た流行語では「上有政策、下有対策」。そんな時代でした。  カオスとか混沌というほど無茶苦茶ではなく、一定の秩序があるけれど、個別主義が横行し、解釈通が重宝される・・・それなりに面白い状態でした。そんな変化に富んだ中で応用問題を解いていくには「ヤンチャな大人」が必要だと思いました。四角四面の形式主義ではなく、柔軟で大まかな姿勢を「ヤンチャ」という言葉に託し、それでいて、しっかり基本技と理念を心得た判断が出来ることを「大人」と称しました。


      例えを挙げれば、2008年前後に日経新聞朝刊に連載された高樹のぶ子の『甘苦上海』の世界。同時代の上海の風俗や気分を具体的な街角を背景に活写した小説でした。登場する女も男も「ヤンチャ」に酒と薔薇の日々を過ごしていました。杜月笙の主席公館跡を改装したホテルでの逢引、未整備だった田子坊に潜む謎の少数民族との交渉などなどスリリングでした。ただ、時代と併走する小説の弱みはリーマンショックのような急変を予測できずに急成長が続くことを想定していたこと、そして中国だけが経済停滞からV字回復することは更に予想できず、小説世界に急ブレーキをかけたことでした。小説内での助演男優賞的存在の「関西系中堅商社総代表の松本」が日本への転任を命じられ、主人公の紅子マダムに「日本ではこちらのような訳にはいかない。日本は公序良俗が建前の社会だから」といったニュアンスを伝えるシーンに「ヤンチャ」な男の「大人」の部分を感じたことを思い出します。


      そんな昔の思い込みや刷り込みがあって、今回の爆竹花火規制に対しても、「ヤンチャな大人」の上海人が様々な工夫をして、お上の鼻をあかすのではないか?と想像し、一面では期待もしていたのでした。しかし古い帽子を被った日本人や大連人と異なり、上海人はすでに「ヤンチャ」を卒業していたのかも知れません。


      十五夜満月の元宵節で春節の区切りをつけて、婦女節も過ぎた頃、ある上海人から爆竹花火規制について「今回のお上からの『信号』はきつかった。軽はずみなことをしでかして、罰金や拘留くらいならまだいい。しかし『言うことを聴かない奴』としてブラックリストに載せられたら大変。例えば、海外渡航を制限されるとか、銀行融資を拒否されるなどの社会的経済的制裁が怖い」と自己規制の背景を滲ませてくれました。春節という開放感に満みちるべき季節にしては閉塞感を感じる言葉でした。


      事実は果たしてどうでしょうか?純粋に空気汚染防止目的かも知れません。上海人も今や無理に爆竹で悪鬼を追い出す儀式に拘らないのかも知れません。そしてきつい『信号』は単なる被害妄想の思い過ごしかも知れません。ただ、北京からの指示が上海の末端まで及んだのも事実であります。それが核心によって社会の結晶を固定化する動きの一つの試験紙、試金石だったのかも知れません。「真面目な大人」と「ヤンチャな子供」が増える閉塞した空気の中で、烽火(のろし)が三ヶ月も連なることのないように祈ります。 (了)


    2016.03.22

    司馬遼太郎と蘇州城門跡を探索する(その2) 【蘇州たより 工藤和直】Vol.47 (読む時間:約7分)

  • 2016.03.09

    城隍廟 【上海の街角で 井上邦久】vol16 (読む時間:約4分半)

  • 2016.02.24

    梅の香り漂う「光福鎮」を訪ねて 【蘇州たより 工藤和直】Vol.46 (読む時間:約3分半)

  • 2016.02.19

    一生に二度しか笑わなかった西施 【蘇州たより 工藤和直】Vol.45 (読む時間:約3分半)

    • 霊岩山は蘇州城から西南15kmにある標高182mの小高い岩山である。古くは春秋時代、呉王・闔閭(在位紀元前514年~496年)が霊岩山(姑蘇山)に「姑蘇台」を、その子夫差(在位紀元前495~476年)は美女・西施のため、この姑蘇台に「館娃宮」を設けた。現在霊岩山と称する頂にある「姑蘇台山頂花園」は、館娃宮「御花園」の遺跡だとされており、中国に現存する最古の庭園でもある。山麓から正面山頂に見える霊岩塔(多宝仏塔)を目指して徒歩で40分程度である。


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      観音洞は道に沿って山に登る途中にある。左に続く竹林を見ながら、かなり上り詰めた所に「落紅亭」と碑刻され建物が見える。山頂の霊岩山寺はまっすぐ登るが、左手に常にローソクが灯り線香が絶えないお堂がある。ここは紀元前494年会稽山で破れた越王「勾践」が監禁させられた洞窟である。勾践は囚われの身で、会稽からここ姑蘇霊岩山に連れて来られた。髪は伸び放題、裸足で馬の世話や掃除などの労働に従事し、夜はこの洞窟で寝るという有様である。


      呉王「夫差」といっしょに来た西施は、みすぼらしい越王「勾践」の有体を見て悲しみ、それを押し殺すかのように笑い顔をつくろったといわれる。いやみすぼらしい越王の姿を見て本当に笑ったのだという説もあるが、筆者はこう思う。「臥薪嘗胆」の嘗胆(胆をなめて会稽の恥を忘れず)である越王「勾践」は、その配下の范蠡が計画した「打倒呉国」を「くの一、西施」と遂行中なことを承知であった。西施はみすぼらしい姿の王を見て笑ったのでなく、呉王「夫差」はまんまと策に落ち、ここ霊岩山頂上に呉国の財を全て注ぎ込み、人心は呉王から離れているということを、「越王さま、計画はうまく行ってます」と言うのを笑みで代弁したのでないか。この観音洞のことを、西施洞とも言う。


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      霊岩山頂御花園の奥に玩月池がある。西施はここで2度目の笑顔を作っている。西施は贅沢の粋を尽くした館娃宮で暮らしても決して喜びの日々はなかった。それは打倒呉国の密命を帯びている以外、ふるさと「越」をいつも思い、日夜思い悩む毎日であったからだ。呉王は「あなたの望みを何でもかなえてあげた、できないのは月をここに持ってくることだ、それ以外は何でもしてあげる」、西施は言う「どうしても月が欲しい」。悩んだ呉王夫差は臣下の進言で、この山頂に池を掘り麓から汲んで来た水を張って池とした。満月の夜、呉王は西施を連れて御花園にできた池に行き、「さあ、月を手にしよう」と池に映る月を両手で取るように促すと、風に揺れる小波に揺れる月が西施の手に入ったのだ。「王様ご覧ください、私の手の中で月(月と越も漢語では同じYue)が遊んでいますよ」と得意気に笑ったと言う。その後、玩月池(月をもてあそぶ池)と呼ぶようになった。


      古書によると館娃宮は「銅鈎玉欄、飾以珠玉」といわれるくらいの、銅のかぎと玉の欄干、数々の宝石で飾られた御殿であった。唐の詩人「白居易」は蘇州刺史として赴任し、ここ霊岩山で「娃宮屧廊尋已傾、硯池香渓欲平、二三月時但草緑、幾百年来空月明」と詠っている。「館娃宮にあった響屧廊を探したが、既に壊れ硯池の香渓は消えようとしている。2、3月春の頃、草は緑になり幾百年も同じくむなしく月が照らしている」。この詩に出る「響屧廊」が、寺門右の霊岩塔と御花園を結ぶ梓の木で出きた長い廊下であった。この梓の木の下に大きな甕を一列に置き、女官が木靴で歩くとちょうど木琴の上を歩くのと同じく、美しい音色が奏でられるのである。呉王「夫差」はここまで粋を凝らした宮殿を造営したのだ。


      白居易に先立つ百年前に詩人「李白」がここで詠ったのが「蘇台覧古」である。白居易は李白の詩を十分に意識している。李白は霊岩山を照らす月について「唯今惟有西江月、曽照呉王宮裏人:ただ今ただ、西江の月があるだけ、かつて照らす呉王宮殿の人(西施)」と月は西施の時代から空しく照らしていますよと詠い、それを意識した白居易は、李白のあと百年も同じく月は空しく照らしていると、時間をより自分の時代にずらしている。この対句に時間の長さと霊岩山の変化のない様子を感じ取れる。白居易から1250年後の現在も、月は玩月池を照らしているからだ。


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      霊岩山寺を出て坂を少し降り、右手に太湖がきれいに見える場所がある。そこに亀に形をした岩がある。ちょうど頭が太湖に飛び込もうとしている。子供たちが登って馬に跨るような格好をしている。この亀石も同じく西施が上に登り傘下を見下ろしたといわれる岩である。


      参考文献:「西施」を尋ねて霊岩山に登る 【蘇州たより vol.6 】


    2016.01.28

    『Astor House Hotel』 【上海の街角で 井上邦久】vol15 (読む時間:約4分)


    • 榎本泰子さんは1992年から北京大学に留学され、帰国後は日中比較音楽学者としての著作でサントリー学芸賞や島田謹二学芸賞を受賞しています。その榎本泰子さんが2009年に中公新書として上梓した『上海 多国籍都市の百年』に大変お世話になりました。
      良き指揮者或いは水先案内人に導かれ、上海という魅力的な楽器を健脚や健筆で奏でた歴史小曲、多国籍協奏曲のような著作です。
      2009年の着任前後に上海に関する本をあれこれ読みました。多くの本やガイドブックの中で、堀田善衛氏の『上海』を別格とすれば、榎本泰子さんの『上海』が最も楽しく好奇心を刺激してくれました。この本を手にして一番に訪ねたのが外灘(The Bund)から外白渡橋(Garden Bridge)を渡ってすぐの角、黄浦路1号のレストラン「上海早晨」(Shanghai Morning)そして、黄浦15号の「浦江飯店」(Astor House Hotel)でした。


      上海の「文明開化」は波止場近くのホテルから、と言っても過言ではないと感じます。
      華夏第一老飯店(The Oldest Hotel in China) と自他ともに称されるこのホテルは、1846年(清・道光26年)に、Astor of Richardという英国商人によって外灘の地に礼査飯店(Richard Hotel)として創建。1857年(清・咸豊7年)に、当時Wales橋と呼ばれた外白渡橋の北側の現在地に移り、英文名のみを「Astor House Hotel」に改称。1907年(光緒33年)に全面拡張。Davies & Thomas建築事務所の設計による鉄筋コンクリートと木造煉瓦折衷の東アジア随一のホテルと称されたとあります。
      西方文明の窓口として、中国初の電灯(1882年)、水道(1883年)、電話(1901年)が使用され、半有声映画(1908年)が上映されたのも浦江飯店であったようです。


      米国グラント大統領(1879年)、李鴻章(1895年)、バートランド・ラッセル(1920年)、アインシュタイン(1922年)、チャップリン(1931年、1936年)が宿泊。周恩来夫妻は1927年「4.12政変」後に2か月間も浦東飯店で身を潜め、追い詰めた側の国民党の蒋介石夫妻は堂々と宿泊しています。
      幕末の長州藩から派遣された高杉晋作が浦江飯店に宿泊したとすれば面白いのですが、中日交流史の泰斗の陳祖恩教授からお聴きしたところ、長州藩士一行は乗ってきた船に宿泊したようだとのことでした。ただ浦江飯店を高杉晋作が眺めた可能性は高いでしょう。
      また榎本泰子さんの『上海』には、ホテル併設のレストランの美味に驚いた日本人が、東京で中華レストランを開業し、その名を『銀座アスター』と名付けたという故事が載っています。どちらでも良い事ですが、英語綴りをAsterと異にしたのは、遠慮?ミス?


      現在のレストラン『上海早晨』は、高い天井からシャンデリアが飾られ、その数多い電球はいつも全部が輝いています。これは当たり前のことのようですが、豪華に飾ることは得意でも、常に灯りを維持する持続力には欠ける例を見慣れている眼には新鮮です。その持続力は味の持続力にも通じます。穏やかな本幇菜(地元料理、上海料理)は期待を裏切らず、いつもゲストに褒めて貰っています。地元料理としてポテトサラダが出てくるのはご愛嬌。いつぞや夏の終わりに「蟹粉豆腐」を注文しようとしたら、なじみの服務員から、まだ蟹が美味しくないから一か月待ちなさいと助言してもらったことがあります。事ほど左様に、上海最古のレストランは純朴さをサービスにも、味にも、料金にも残していると思います。


      昨年末、日本での仕事納めの翌日から上海へ。学生時代の友人との二泊三日の二人旅でした。浦江飯店は我々に2階奥の大きい部屋と6階のコンパクトで明るい部屋を同料金で提供。久しぶりの上海をより楽しく過ごして欲しいと、友人には6階に泊まって貰いました。窓からは蘇州河、外灘そして黄浦江の蛇行の向こうに浦東の高層ビルが一望できました。帰国後に届いた友人の旅日誌には「ホテルの6階の部屋から見た黄浦江の夜景は絶景。まさに独り占め。井上に感謝」とありました。
      ちなみに2階奥の廊下の窓は貼り絵がされ、隣のビルの汚れが見えないように配慮されており、大きい部屋には寒さ対策のランニングができるスペースがありました。
      それぞれの好みで選べると良いのですが、かなり客が多いせいか?きめ細かい手配が面倒なのか?事前の部屋の選定が難しいので今後の努力が必要です。現状は与えられた部屋を「阿Q式精神勝利法」を活用して、幸運であったと感じられる精神操作が必要なこともあります。


      年始早々、上海証券市場は激しい動きを示して世界にもかまびすしく発信されています。その上海証券市場が開設された場所がこの浦江飯店の孔雀庁と呼ばれる大広間でした。1990年12月19日のことです。社会主義国家に証券市場、という実験がどのように成長するのか、当時は色々な観測がなされました。25年前に始まった市場をまだまだ揺籃期とみるのか、発育不全と診断してしまうのか、種々分析がなされることと思います。少なくとも、中国経済が踊り場にある、という見方は正しいでしょう。 孔雀庁はかつて素晴らしいダンスホールでした。 (了)


    2016.01.25
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