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コラム

10元で深センに行き歴史を変えた人物、現在の時価総額は612億元!【中国ニュース 2015年8月12日 】 2015.08.13

 2014年、フォーブスランキングに、王文銀氏の時価総額は612億元までに達していた。2015 年、王文銀氏はHurun中国富豪ランキングの第27位で、時価総額は京東の劉強東氏も超えた。

 

1993年、王文銀氏はわずか400元で深センにやって来た。駅に降り立った王文銀氏の財布には、わずか10元しか残っていなかった。そのため、鉄や銅などのゴミを拾ってそれを販売し生活していた。しかし、22年後の2015年の王文銀氏の時価総額は612億元を超え、世界富豪ランキングの125番目に登り詰めている。皆さんは彼をご存知だろうか。どうやってここまで来たのだろう。

 

1.もとは平凡な貧しい農村少年

 

1970年、王文銀氏は安徽省河湾村に生まれ、幼少は貧しい生活を送った。将来必ず成功しようと誓った。1990年、大学卒業したばかりの彼は上海に出稼ぎにいった。毎月約400元の給料で生活は安定していた。しかし、こんな普通な仕事であれば、決して成功できないと思っていたので仕事を辞めた。1992年、22歳の彼は当時、創業者の聖地と謳われていた深センに行くことを決めた。その時、荷物はボストンバック一つに、その中に一式の洋服と夢を詰め込んだ。そして、400元をもって、深センについた時、財布には10元しか残っていなかった。10元を王文銀氏は3日間で使いきった。当然住む場所はないので野宿で過ごした。

 

2.くたびれた工場社員時代

 

幸運なことに、月給3千元の電灯工場の仕事が見つかった。800名もの女性作業員を管理する仕事を得た。しかし劣悪な労働環境に対して作業員は疲弊したり、中には怪我をする社員も多く。王文銀氏はストライキを起こした。結果、ストライキ参加者は全員クビになってしまった。責任を感じていた王文銀氏は仕方なく、自分の給料をみんなに分けることにした。そのため、また住む場所を無くしてしまい、再び鉄や銅などのゴミを拾って生活した。

 

3.倉庫管理者となり500万元を稼ぐ

 

一週間後、彼は倉庫管理者としてある香港企業に入社することになる。お金がなかったので3平米の部屋を借りた。ある日激しい雨が降っていた朝に目を覚ましたら、水がベットの高さにまで浸水してきていた。仕事を辞め、深センまできて、こんな苦しい生活をするなんて、理解できない人がいっぱいいた。しかし、王氏はわずか1ヶ月間で、驚くべき才能を発揮することになる。  倉庫を管理するにはいろんな材料と接する。王氏が働いていた工場には何千種類のケーブル、プラグなどあったのだが、王文銀氏はそれらのコードを全て覚えていた。資料を確認する必要もなく、何千種類にも及ぶ材料名を口にすることができたのだ。そのため、王文銀氏は製造部で一番人気がある倉庫管理員の仕事を得ることになった。「大学入試のように、一生懸命集中したら、一週間で全部覚えられたよ。」王文銀氏はそう周囲に漏らしていた。その後わずか1年間で、王文銀氏は倉庫管理員から工場総経理のアシスタントと7つの階級を昇級した。それからの2年、王文銀氏は総経理アシスタントから営業部部長、工場長、副総経理、総経理になった。年収は500万元を稼ぐほどに成功した。

 

4.オペレーションルームに寝る工場ボス

 

1997年、王文銀氏は自分の初めての企業である深圳携威電源ライン工場を作った。三年間の業務経験、また豊富な業界知識を得たことにより、自分で事業をできる自信を持っていた。 工場は立ち上げてから、王文銀氏は作業員と一緒に残業しては、夜はオペレーションルームで眠るというまさに寝食を忘れて働いた。なんと1ヶ月目には、工場は黒字化した。3ヶ月後には、工場の売上は200万元/月から1000万元/月になり、大規模な工場経営ができるようになった。

 

5.倒産と外部に噂を流して、サプライヤーをテスト

 

それからは順調に発展していって、毎年一つずつ新しい工場を作っていった。 王文銀氏はその頃、企業の成功や失敗の経験を研究していた。多く企業家の失敗集を自宅の壁に貼り付けて研究を重ねていった。失敗を研究し続けた結果、王文銀氏はほとんどの企業はサプライヤーとうまくいかずに失敗していることに気がついたのだ。そこで王文銀氏はどのサプライヤーが長期的に自社と連携できるかを確認するために、王文銀氏は外部に「王文銀氏の工場がもうすぐ倒産する」と噂を流してみた。当時、その工場はサプライヤーに約5000万元の借金をしていた。実は、このときすでにこの借金を返済するために、王文銀氏は約1億元を準備できていたのだ。情報を流した後、各サプライヤーはそれぞれ違う反応だった。すぐに工場に対して借金返済を求めたり、中には怒鳴り込んでくるサプライヤーもいた。しかし、その中にも王文銀氏を信用して、お金が有る時に返してくれれば良いというサプライヤーがいた。王文銀氏は悟った。結局、その時王文銀氏を信用してくれていたサプライヤーたちがその後に協力な連携パートナーになっていったのだった。

 

6.資金稼ぎのために、トレンドを把握することが必要

 

アジア金融危機を経験して、王文銀氏はグローバル経済危機のルールを研究しはじめた。「資金を稼ぐなら、グローバルなトレンドと状況を把握することが必要」と語っている。 2005年、王文銀氏は銅産業に参入した。2008年、グローバル金融危機の時、銅の値段は2万元/tぐらいに下がり、これをチャンスとみた王文銀氏は十数万tの実物と30万/tの先物を購入した。この結果、4-8万元/tに上がった時に売り出して、多く利益を得ることに成功した。

   
http://news.pedaily.cn/201507/20150731386477.shtml

 

 

王文銀 安徽省出身,正威国際集団 創業者 董事局主席

2014年、フォーブスランキングに、王文銀氏の時価総額は612億元で、2015年、王文銀氏はHurun中国富豪ランキングに27番目に入っている、時価総額は劉強東氏を超えている。

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