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2015.08.24
  • 稲盛哲学に救われ
    売却寸前から上場企業へ
  • 北京豊栄航空科技股份有限公司 董事長
  • 韓 銘
飛行機の付属品整備、ゼネラル・アビエーション(軍事、定期便以外の航空事業、プライベートジェットなど)関連のサービスを中心に、海水の淡水化、ホテル業に至るまで手広く行う北京豊栄、その創始者である韓氏は挫折の中で稲盛氏の哲学に出逢い、会社を立て直すことができた。その道のりをご紹介する。

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■ 創業、そして初めての挫折


北京豊栄の創業は2000年、韓氏がそれまでに培っていた航空機材の整備経験、取引の実績、さらに仲間たちの努力もあり、事業は順調に成長していた。その歩みが初めて崩れたのは2003年のことだ。この年、SARSの流行により中国では都市の隔離政策が行われ、航空機事業は開店休業の状況に陥ってしまった。
順調な人生が突然思いもよらない災難により挫折したことで、韓氏はこれまでの努力に意味はあったのかと疑うまでに意気消沈してしまった。


■ 次々と困難と悲しみが押し寄せる


だが、SARSの波を乗切った北京豊栄は再興する。収入の増えた韓氏は豪遊するようになった。だが、その不摂生がもとで身体を壊し、通風で身体を支えられなければ歩けないほどになったこともある。
身体だけでなく、会社の内部にもほころびが生まれてきた。創設当初、力を合わせて会社を盛り上げてきた株主たちとの協力関係が崩れてきたのだ。株主たちは会社が軌道に乗ると努力を惜しむようになり、会社の発展戦略に抵抗するようになった。韓氏と株主たちとの関係は拗れ、ついには董事長で筆頭株主である韓氏を無視して年末総会を開こうとするまでになってしまった。
更に大きな苦しみが韓氏を襲う。会社の忙しさに紛れてなかなか会うことのできなかった母が亡くなってしまったのだ。身体の不調、株主との確執、母の死、様々な苦悩が韓氏を苛み、ついに韓氏は会社を売却することを考えるまでになった。


JAL再建から稲盛和夫氏を知る


2010年1月19日、JALが会社更生法を申請した。航空業界にいた韓氏はこのニュースに興味を持っていた。いったい誰が破綻したJALに手を差し伸べるのだろうか。
やがてJAL再建のために登場したのは稲盛和夫氏だった。韓氏はそのとき稲盛氏のことを全く知らなかったが、時の首相や交通大臣が出馬を願い出たという人物に対して興味を持った。
韓氏はまずインターネットで情報を集め、稲盛氏と稲盛哲学について知り、やがて稲盛氏の著書を読むようになる。そこに書かれた稲盛氏の言葉と思想は韓氏に衝撃を与えた。「仕事とは心を高めること、魂を磨くこと」という言葉に「人生とは盛宴ではなく、修行である」ことを深く実感させられたと韓氏は当時を振り返る。


■ 苦難に立ち向かうことを決意


稲盛哲学を学んだ韓氏は、自身の心を高めなければ経営を伸ばすことができないということに気が付き、会社を変え、人生を変えるには、まず自分が努力しなければならないことを学んでいった。
2011年夏、韓氏は社員たちとともに草原を旅した。夜、古参の社員たちと語り合った時に韓氏は決意する。会社を売ってしまっては一緒に頑張ってきた彼らに会わす顔がない。苦難から逃げずに立ち向かうおうと。
韓氏はまず、3つのことに努めた。ひとつ目は価値観、判断基準の変更だ。韓氏が会社を設立したのは、家族や株主といった小さなグループの利益のためだった。しかしその範囲を社員やその家族に拡げ、さらに社会的な責任を担うというところまで広げることにした。
2つ目は性格を変えることだ。韓氏は以前、怒りっぽい性格であり、会議でも怒声を轟かせることがあった。しかし自分の感情を抑えずに怒りを表現するだけでは、部下を怖がらせ、傷つけるだけで問題は解決しない。そこで自分はもちろん、周りにも仕事中は静かに話し合うことを求めていった。これにより言い争いは減り、問題解決の効率も高めることができた。
3つ目は寛大になることだ。稲盛氏の「謙虚にして驕らず」という言葉から、韓氏は寛容で謙虚な心を持つことの大切さを気付いた。以前、会社が困難に直面した時に韓氏は、株主や社員の言葉を素直に聞くことができず、強硬な姿勢で対応してしまっていた。会社の指導者がどれだけの心構えと度量を持っているかが、企業の発展の余地を決める。会社の行き詰まりは、自らが問題だったのだと韓氏は気付いた。

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