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2015.07.07
  • 定年後、中国企業で総経理に 
    活躍の場をくれた中国に感謝
  • 上海米源集団 董事総経理
  • 柿本 良
柿本氏が初めて中国に赴任したのは1980年、それから2008年まで、中国を中心とする海外でオリックスの社員として活躍し、定年後には中国企業、米源グループで総経理を務めている。日本企業と中国企業というふたつの立ち位置で中国を経験する柿本氏にお話をうかがった。
  • 上海米源集団股份有限公司
  • 住所 / 上海市長柳路58号 征大立方大厦309室
  • TEL / (021)3392-7108   FAX / (021)3392-7109
  • URL / www.miyuangroup.com

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■ 信頼関係から総経理職を受ける


 柿本氏が総経理を務める米源グループ旗下には3つの会社がある。クレーンのレンタルを行う上海騰発建築工程有限公司、飲料自動販売機の運営を取り扱う上海米源飲料有限公司、日中合弁でクレーン以外の建設機械レンタルを行う上海金和源建設工程有限公司だ。柿本氏はここでグループ全体の資金管理や、自動販売機に関する業務などを行っている。柿本氏の米源集団への入社は董事長である陳志方氏との出逢いが切っ掛けだった。
 柿本氏が陳氏と出逢ったのは2005年のことだ。当時、クレーンのレンタルと施工事業を行っていた陳氏が、資金調達のために柿本氏が総経理を務めていたオリックスチャイナにクレーンのファイナンスリースを依頼にきたのだ。
 そこで柿本氏は陳氏の会社を訪れ、会社の状況を聞き出していった。その中で、陳氏が会社の資産・負債は勿論、クレーン1台1台の稼働状況に至るまで細かく会社を把握していることが分かり、柿本氏は陳氏を信用できる人物だと感じて契約を結ぶことを決めた。陳氏も柿本氏の信頼に応えて会社を拡大し、期日通りにリース料を払いこんだ。やがて、付き合いを続けるうちに陳氏と柿本氏の信頼関係は深まっていき、やがて陳氏は柿本氏を総経理として迎えるまでになる。


■ 「米源」という社名の由来


 米源グループは、董事長の陳氏が日本に留学したことから生まれた会社だ。
 日本の富山大学に留学した陳氏は、そこで米原商事(株)の創業者であった故米原扶佳氏と出合った。米原商事は富山、石川、新潟等の北陸地方でクレーンのレンタル業を主とする名門企業である。1996年、中国で会社を作ろうと考えた米原氏は、アルバイトの陳氏に白羽の矢を立てた。陳氏は米原氏の意を受けて上海に渡り、その後は上海と富山を往復しながら大学院を卒業した。  90年代の中国は国営企業が淘汰されていく時代だった。陳氏の任された会社も出資していた中国の国営企業が徐々に抜けていったが、陳氏は数人の友人たちとその持分を少しずつ買取り、合弁会社を存続させた。買取った持分を所有する新たな会社を作る際につけたのが「米源」という名称だ。商売を教えてくれた米原氏と米原商事の名を残し、さらにサンズイをつけることで米原氏を「源」とするという意味も加えている。


■ 中国の変化に翻弄された駐在員時代


 柿本氏の中国歴は長い。オリックスに在籍していた間には1980年からの4年半と1992年からの4年間を北京駐在し、2001年からは台湾に4年、2005年からは3年余を上海で過し、そのまま上海で定年を迎えている。中国以外にもニューヨーク、ソウルへの赴任も経験した。
 柿本氏の初めての中国赴任は1980年、日中最初の合弁会社である中国東方租賃有限公司を立ち上げるものだった。1992年からの2度目の北京ではこの会社の不良債権の回収を行う。この時期、中国は計画経済から市場経済への移行が進み、数多くの国営企業が破綻していった。東方租賃はそのあおりを受けて、不良債権の山を抱えることになってしまったのだ。この時代に中国で合弁会社を作っていた日本や欧米のリース会社はオリックスの他にも20数社あったが、ほとんどがオリックスと同様、不良債権により会社を売却又は清算している。
 しかしオリックスは再度中国での会社立ち上げを目指す。2005年に上海で新たにオリックスチャイナを立ち上げ、柿本氏が派遣された。この新たな会社が軌道に乗ってきた2008年、柿本氏は上海で定年を迎え、その後米源グループへと転職する。


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