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2015.11.11
  • 大地の子として、日中の架け橋となって恩返しを
  • 上海贏澤文化伝播有限公司 董事長
  • 王 篠卉
「日中の架け橋として役に立ちたい」と話す王氏は、若くして日本に渡り、一貫して日中の橋渡し役として活躍してきた人物である。王氏にその歩みと想いをお話しいただいた。
  • 上海贏澤文化伝播有限公司
  • 住所 / 上海市延平路69号 延平大厦1103室
  • TEL / (021)5213-9259   FAX / (021)5213-9257
  • URL / www.shyingze.net

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恩人の誘いで日本に赴く


王氏には父とも慕う恩人がいる。王氏を日本へ導いた人物は斎藤氏だった。王氏と斎藤氏が出逢ったのは彼女が西安外国語大学を卒業して中国国際旅行社西安支社で添乗員として活躍していた時に、斎藤氏は偶然に出会った1人の観光客だった。
王氏の熱心な仕事ぶりに感動した斎藤氏は、彼女を日本に招聘しようとした。初回会って半年後、斎藤氏は必要な書類を揃えて再度西安を訪れた。日本への留学を提示され、王氏は戸惑った。知らない国しかも教科書に怖く書かれている日本へ行くのは両親にも反対された。だが熱心に手紙を寄越し、自宅の駐車場を留学生マンションに改装するということまで尽力してくれた斎藤氏の気持ちに心を打たれ、1994年王氏は日本に渡った。


■ 劇団四季で日中交流事業に携わる


埼玉大学の大学院を経た後、王氏は通訳が縁で劇団四季の中国窓口責任者という職を得た。
劇団四季の創設者である浅利慶太氏は、中国との文化交流に熱心な人物だ。浅利氏は北京の中央戯劇学院のミュージカル学科創設に協力し、そこでオーディションした人材を劇団四季で特訓したりもしている。日本で鍛えた学生たちの晴れ舞台となったのが1999年の中華人民共和国50周年記念式典だった。式典の重要なイベントとして公演された中国語のディズニーミュージカル「美女と野獣」は、中国で初の中国人による中国語のミュージカルとなった。この公演は66回にもおよぶロングランとなり、出演した俳優たちは中国初のミュージカル人材として、今では中央戯劇学院、上海戯劇学院などで教授として活躍している人も多い。中国のミュージカルは浅利氏が育てたといっても過言ではないほどの貢献であったのだ。
しかし、人材は育てたが中国ではまだミュージカル市場が成熟しておらず、せっかく育てた人材もその腕を活かす場所がない。そこで浅利氏は中国にミュージカル市場を生み出すためにもっと多くの人材を育てなければならないと考え、更に多くの中国の俳優を劇団四季に招き、教育し、舞台に出し続けた。この一貫としていた仕事の重役を担ったのは王氏だった。


■ ソニーでの活躍


劇団四季での仕事が落ち着き、王氏が次に勤めたのはソニーだった。2000年頃、ソニーは人材不足に悩んでおり、劇団四季のように外国から人材を採用することを考えた。だが中国から優秀なエンジニアを日本に連れてくるのは難しい。エンジニアを見つけることはもちろん、その後の手続きも難しいことだった。当時中国の大学生は卒業から5年間、国の人材として働かねばならず、外国に出てはいけないことになっていたからだ。王氏は時には中国の政府機関に協力を求めながら、5年間にわたり400名近く優秀な中国エンジニアをソニー本社へ送り続けた。
当時ソニーの会長であった出井伸之氏は「この人たちはソニーで良い経験して、国際的視野を得て、いつか中国に戻って自分の国に貢献するのでしょう」と語った。中国から来たエンジニアの中には、後に中国で起業してIT業界で成功した人物が幾人もいる。創業者である井深氏の思想を理解し、ソニー中国で活躍している人も多い。ソニーにとっても、中国のエンジニアの日本人とは異なる考え方が現場に刺激を与えることとなり、当時電気製品トップであったソニーに多くの貢献を果たしたという。日本のIT業界で海外から人材を雇うという国際人材戦略を始めたのはソニーが初めてだった。王氏はソニーの国際人材戦略実現できた戦場の第一線で活躍した。
5年後、新しい仕事にチャレンジするために、王氏は思い切ってソニーを退職した。その時、王氏は上海市政府大劇院芸術センターから声をかけられ、上海大劇院芸術センター駐日本首席代表に就任した。


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